18話:天変

 広宗において、黄巾党討伐は成った。

 首謀者の名は張角。兄弟である張梁張宝とともに、乱れた世の中に苦しむ民の救済を目的に活動をしていた。

 張角は自らを天公将軍と称し、弟二人を地公将軍、人公将軍とし、漢王朝を表す『蒼天』にとってかわり、『黄天』へと、天下を変えることを掲げた。この乱は、張角についていくと決めた民たちが起こした蜂起であった。

 皇甫嵩が広宗にて張角の率いる黄巾党の本隊を打ち破ったときすでに張角は死んでいた。

 張角の体は病に侵されていたのである。

 世の中の平穏を真に願い、自分の体を顧みずに活動を続けた結果である。

 打ち破られた黄巾党の残党は各地に逃亡した。今後も黄天の世を想い、蒼天に戦いを挑むだろう。

 そして、宮中に巣食う宦官たちから見れば、私腹を肥やすための奸謀を巡らせる余裕が再び生まれる時期が到来したと言える。

 時の天子は政に興味を持たない。

 

天子は天命を受けて政を行う立場にあり、理想の治世を行う絶対者である。

 しかし、一人でその任に耐えうるものではなく、天子の手足となって働く補佐役が必要であった。その役を担う者が、国教である儒教に忠実な官僚である。『清流』と呼ばれる天下有為の若者たちが天下を支える官僚となるために学に励んだ。

 しかし、世襲制である天子の統べる世の中となっては、時間とともに他の力が働きやすい。

 長く続く時代の中、英君ばかりが帝位に就くとは限らない。

 時には暗愚が帝位に就くこともあろうし、また天子が若くして死んでしまえば、政治のいろはもわからない幼い皇太子が後継ぎとなる事態も珍しいことではない。

 治世に影響を及ぼす要因の一つとして、幼き天子の母たる『皇太后』があげられる。つまりは先君の未亡人である。皇太后にも発言権はあり、その発言の裏には彼女の親兄弟の思惑も透して見えるものであった。皇太后を通して『外戚』の思い通りに天子の威光は利用されていった。

また、前帝の周囲には他の女性たちの姿もある。側室たちである。宮廷には天子や正室、側室たちが暮らす区画があり、内廷と言った。

そして、もう一つの要因がある。

 天子の執務上の連絡係や、内廷に住まう女性たちの管理役である『宦官』だ。

 罰として宮刑、つまり去勢されたもの、または宮中に仕えるために、自発的に去勢手術を受けたもの、いずれにせよ男性としての機能を失ったものが宦官となった。

 内廷に住まう女性たちを襲う心配がないように、そういった人間を管理役として当てた。

 外戚である皇太后にとっても宦官は身近な存在であり、別勢力ではあったが、時として協力する事態もあり得た。幼き天子が成長し外戚からの自立を求めた時も、相談相手には身近な存在である宦官が当たるのである。これではどう転んだとしても外戚、宦官の思う通りに天子は動かされてしまった。

 外戚勢力と宦官勢力の入り組んだ覇権争いが、漢王朝の内情であり、実態である。

 元皇帝を取り巻く状況も、その実態の通り、思惑絡む骨肉の争いの中にある。

 時の天子、劉宏の即位は齢十二の時であった。後見となったのは、先帝であった桓帝、劉志の皇后であった竇妙という女性だった。劉志が崩御した際、彼には男児がなく、竇太后は彼女の父と相談し、王族の中から劉宏を帝位に据えた。このことから時の劉志は竇太后の養子に近いと言える。

 周囲を竇太后の親族や息のかかった人間たちで固めた、典型的な外戚の布陣であった。

 典型的な外戚の布陣とはいえ、この場合の特徴に、外戚の数人の中に清潔と言っていい、評判の高い正統派官僚がいたことにある。いわゆる『清流』に区分される存在であったのだ。彼らが重用されたという事実は宦官勢力におされていた清流勢力の大きな期待を抱かせたのであった。

 その清流派の官僚たちはひそかに宦官勢力を皆殺しにするという思い切った計画をたて、竇太后に了承を求めた。しかし太后はそこまでは思いきれず踏みとどまってしまう。

 官僚たちは、根回しの不十分な状態で計画を実行に移さざるを得なかったため、上奏文の内容が宦官勢力の手に落ち、計画が露呈してしまった。

 宦官勢力の中の大物である中常侍曹節らはその計画を知るや否や素早く切って返した。宮廷内での武力抗争が起こった末、官僚らは返り討ちに合い自刃して果てた。計画の事を知っていた竇太后もまた宦官勢力たちの工作により幽閉され、数年後に死に至った。

 宦官専横時代の到来である。

 時の天子、劉宏は元々が成り上がり。皇帝としての器は持ち合わせていなかった。何かにつけては口出しをしてくる目の上のたん瘤とも言える竇太后が居なくなってからというもの、皇帝の権限を利用してやりたい放題に振る舞い始めた。

 官位を金で売り、各地から献上品を不当に徴収し、資材の貯蓄に熱中した。宦官の一人が諫めたとしても耳を貸そうともしなかった。

× × ×

 そして、劉宏が霊帝として二十年余りが過ぎた。長年に及ぶ不摂生が祟り、劉宏の命の灯が消えようとしていた。

 内廷にある皇帝の部屋に腹心の宦官が呼ばれた。

 部屋は薄暗く、香が焚かれている。

 皇帝の寝室へと入ることのできる人間は厳しく制限されており、皇帝の容体を自分の目で確認することが出来るのは一部の宦官のみであった。

 寝台には肥え太った霊帝が体を横たえている。簾が引かれ影のみを確認できるばかりではあるが、霊帝は部屋に入った宦官を見たようである。

蹇碩か。入るがよい」

 その声は掠れていて生気がなく、呼吸すらも浅くなっていることがうかがえる。

 蹇碩が寝台近くに寄ると、簾の隙間から霊帝の表情が少し垣間見えた。頬や顎に蓄えられた脂肪と、不自然に落ち窪んだ眼が見える。

蹇碩、まいりました」

 霊帝は瞳を閉じ、そのままぽつり、ぽつりと口を開いた。

「朕は、もう逝く」

「さ、さようで」

「後継には、協皇子を据えよ」

「は、はっ。畏まりました」

 蹇碩の返答を聞き届けると、それっきり、霊帝からは呼吸が聞こえなくなった。

 

霊帝崩御

 この報はすぐに内廷を駆け巡り、後継者争いが激化し、多くの血が流れた。

 後継者争いの主な勢力は二つある。

 一つは霊帝が遺言として残した、側室王美人の息子、劉協。そしてもう一つは何皇后との間に生まれた劉弁であった。

 何皇后には黄巾討伐において大将軍を務めた、兄の何進が後ろ盾となり、すでに母を亡くしていた劉協には宦官勢力が後ろ盾となった。

 そして――。

「来たか! 袁司隷校尉殿」

「何を畏まるか何大将軍よ」

 朝廷まで馳せ参じたのは袁家の御曹司、袁紹。字を本初と言い、現在は司隷校尉の位に就いていた。

 年若いながらも清廉で闊達な様は名門袁家の名に恥じず、諸人の間にも名を轟かせていた。

袁紹は新皇帝、小帝弁に謁見したその帰りであった。

 袁紹は一瞬安堵の表情を浮かべた目の前の男、何進を見据えて口を開いた。

「いったい何事だろうか」

 袁紹が問うと、言いづらそうに眉間に皺を寄せ、

「宮中の粛清を考えておる」

 と、簡潔に一言、口にした。

「粛清とな」

 ずいぶんと思い切った考えである。

 袁紹は怪訝な表情を作った。

「そうだ。かろうじて弁を帝として擁立することは叶ったが、宮中に巣食う病理を一つでも残しては、後の禍根となる。宦官どもを皆殺しにするのだ」

 予め用意してきたかのような言い分である。

 自らの専横を正当化するための詭弁にしか聞こえない。しかし袁紹は首肯した。

「うむ。長年に及ぶ宦官の横暴は目に余る。私が兵を引き入れ宦官を根絶やしにする手伝いをしよう」

 ここで恩を売るのも悪くはない。

 猪にでも追いかけられているかのような必死の形相であった何進だったが、深く息を吐き出すと。落ち着き払った表情をとりもどした。

「おおっ。受けてくれるか。ならば我が妹にもこのことを伝えねばな」

 額に掻いた汗を拭うと、後日使いを送るから、機を待って実行に移すよう言い残したあと、周りを気にしながら帰っていった。

 その小さくなった後姿を袁紹はじっと見つめていた。

「大将軍もあとが無いと見える」

 袁紹は鼻で笑うと、踵を返した。